「明けない夜はなし」と信じつつ、コロナ禍は、2年余が経過、すでに感染拡大の波も大波が6つ過ぎていく、この間、患者さんやご家族、生き悩む人々との直接でのリアル対面で接することは、なかなか難しいが、お寺へお越しいただく「緑蔭」は、門戸を閉じずにおり、しばしばお越しになる、皆、いちように、「来てよかった」と仰っていただく。あらためてお寺の果たすべき本分を思う。
病院や施設におられる方々も、たとえ家族であっても面会・見舞いは、ほぼ叶わない状況であり、精神的な不安定・不調から体調を崩す方も多いように聞く。一面で不自由な生活は、他方、社会や未来への善行だと説かれた大学の先生の話を以前にも書いたが、決して他にこのことを求めたり勧めたりするものではないが、朝夕の勤行で、世界の社会の穏やかなることを祈る毎日である。
(2022・春彼岸 佐野泰典)
今日1月15日は、小豆粥を食し無病息災を祈るのが古来からの習わしです。
コロナ感染症が、日本で確認されたのが昨年の今日でした。それから、当初は人から人への感染はない、とのことが、あれよあれよと世界中が感染拡大と不安の渦に巻き込まれ今もって我が国の多くの都市圏でも緊急事態宣言下となっております。
この一年私たち宗教者(寺院・僧侶)は、何をなすべきか、人々にどう接するべきか悩んできたことです。
当たり前であった伝統行事や、様々な儀式法要も難しい状況となりました。
釈尊や祖師方の教えに照らし合わせながら、自利利他、為人度生、世のため 人のために尽くす
具体的には、先ず「祈り」全世界の平和と、いまの不安払拭をこころから念じること。
そして 人々に「お元気で」と寄り添いのこころで接していくこと
手段は、直接対面が難しいこともありますので、幸い今は、SNSやメール、電話、手紙
さまざまな手段を通じて、時間も距離も超えて(越えて)伴走者でありたいと思っております。
止まない雨はなく 明けない夜もなし です。
冬きたりなば 春遠からじ (代表 佐野泰典)
お寺の朝の始まり、私の住するお寺は、朝の開門から本堂はじめ各お堂のすべての戸を開けていきます、次に茶湯といってお寺の本尊様はじめお堂をめぐり大小五十ケ所にお茶をお供えし、朝のお経をお勤めします。早朝の境内には、朝の散歩や、ウォーキング、通勤途次に立ち寄ってお参りされる方々も多く、常連さんも多くあります。コロナウィルス感染症の影響で自粛生活が呼びかけられ、緊急事態宣言が発令されたとき、毎朝お参りされる方より、「お参りにきても良いのでしょうか」と尋ねられました。京都の社寺でも拝観をされるところは、拝観休止をされるところも多かったせいか、気にされて尋ねられたのでしょう。いつでもどうぞと、お答えすると、「お参りするとほっとするのです、一日の始まりが元気にはじまるのです」と話されてました。社会一般で、ソーシャルディスタンス(社会的な距離=コロナ感染症の防止として人と人の距離を適正に保とう、それは人との接触を80%避けようということにまでつながりました)の必要性が叫ばれ、新たな生活様式の推奨が求められ、集会や会合の類は、ほぼなくなり、飲食店の休業、高校野球の中止、無観客相撲など、影響も甚大で、人と人の直接のコミュニケーションが断たれる事態へとなっていきました。テレワーク、オンラインといった様式が企業でも学校でも普通となり、多少の不慣れや環境未整備のもとでも、だれもが従わざるを得ない状況ともなりました。
私たちは、生まれついて、母親のお乳をいただき、抱っこされ、身近な人々の限りない愛情をうけて、有縁無縁の方々の存在があって今日を生かさせているのですが、抱っこをされ、頭をなでられ、時に抱きしめられたりという距離は、お互いの心音や、呼吸といった10㎝離れてもわからない「通じあい」の体験経験をしながらが今日を迎えているのです。さらに受けた御恩は言い換えれば、心の受け継ぎでもあるかと思うのです。「親になってはじめて知る子をおもうこころ」と申しますが、月と地球ほど離れていても親子の情は通じるものであります。
冒頭申し上げたお寺にお参りの方も、息子さん一家が東京におられ、東京ではひどくコロナが流行しているから、せめて神仏に無事を祈って、自分のことは、さておいての祈りでありましょう。
コロナウィルス感染症は、罹患することの心配や恐怖はだれにも共通することですし、
三密といわれる日々の行動にもお互いが気を配るべき生活規範様式であります。
誰もが経験している、不自由でもどかしい思いも、一方で、家族友人知人を、これまで以上におもいやりも深めたののではないでしょうか。
少し難しい話になりますが、私たちは、仏性(仏心)を持っていて、普段は気づいていないのですが、「三世を通貫、十方に弥綸」(時間も空間も超えて満ち満ちている)しており相手との距離は、少しも離れておらず、いつでもどこでも、どこにいても通じ合っているものなのです。
これまで有史来、綿々と受け継いできた、人と人の心の距離は、決して縮めるようなことがあってはなならいのです。行き過ぎた他への批判や、いじめにも通じるような行動があってはならないのです、「こんな非常事態だからこそ」のお互いの心と心の距離が、限りなく、今まで以上に近くなり、直接に会って言葉が掛けられない状況でもどかしい思いを経験したお互いであればこそ、みんながおもいやりの心で暮らすことの大切さを、再確認できたら、この状況であっても、乗り越えていく大きな大きな力になるのではないでしょうか。
(2020・7・15 佐野泰典)
聴くとは、こころのこえ、おもいをくみ取ることと、傾聴の講座などでは聞くことである。そもそも聴くの字を分解すると、耳をそばだて、徳(あいての立場にたって)心してという意味になる。すなわち私たち仏教の、自他不二の精神にほかならい、現実は、いくら愛し合う親子や夫婦であっても、相手がひとたび病気になって、かわりに痛みを背負ったり、痛みをかわってあげたりということは出来はしない、けれども、痛みを少しでも我が痛みとすることはできるであろう。痛いところをさすったり、なでたり、「気分はどうや?」と声をかけたり、できることはいくらでもある。こんなお互いでありたし。(2019・11・4 佐野泰典)
私たち臨床僧の会サーラの顧問であり、良き理解者であり、特に衣笠塾で大変に教導いただいた早川一光先生が2018年6月2日逝去された。94歳であられた、最晩年に骨髄腫瘍で闘病をされ、その日常やこれまでの医師としての生き様を赤裸々に語られる姿・言葉が、京都新聞に「こんなはずじゃなかった」として連載され、多くの市民に共感を与えた姿こそ、わらじ医者として最後まで貫かれた「心」「たましい」であろう。
とにかく病んだ人・年寄りのそばにいってあげてくれ、実際に手をとり、手を当てていく「手当の教え」を心に刻んで、いささかでも先生へのご恩をかえしていきたい。
佐野泰典
病院の緩和病棟の談話室でお茶を共にしてお話を聴かせていただく活動を続けていますが、緩和医療の現場ですので、お別れ、見送りということは当然あります。昨年10月よりの活動も10ケ月になり、顔見知りとなった方々と、お茶を話を楽しみに来室下さります。そんな方々も何人かは、旅立っていかれ寂しい思いも禁じえません。まさに一期一会の縁ですが、少しでも心和むひと時が共有できればと念じます。それこそが私たち臨床僧の本分、存在意義だと思います。
(2017・7・16 佐野泰典)
昨年末(2016暮)京都新聞に連載の早川先生の寄稿から、名医とは迷医のことなり、と喝破されました。このことは活動をする私に大きな力を与えていただきました。私たちは僧侶として皆さんから人生や様々なことを質問や相談を受けて、なんとか応え(答え)なければ、と思います、でも答えられない、答がないからの訪問を受けることも多いのです。そんなときに、素直に「わからない・こたえがみつからない・こたえることができない」と言えることが出来る人が名医であり、私たちでは名僧といわれるのでしょう。だからこそ、それをチームで補いつつなんとか寄り添い、そして私たちは「現成公案」としていくことの使命を思うのです。老医師の御教えを心に刻みます。 (2017/01/12・佐野泰典)
顧問の老医師早川一光先生には、衣笠塾での医療や健康問題のテーマによる教授を受けて参りました。ご自身が体調を崩され、治療を受ける身になってからの心境は、京都新聞にも連載され、その一言一言が市井の病める人たちを励ましています。
私たち、臨床僧メンバーにも、「とにかく傍に行ってあげてくれ、病んでみると寂しいのや、不安になるのや」と。先生は、『手当とは、実際に手を取り、体に触れることや、それが心に触れることだ、医学の基本や』と繰り返し繰り返し私たちに伝えてこられました。
この教えの心を、臨床僧の心としていきたいものです。
佐野泰典 2016年11月20日
宇治の岡本病院は、5月に伊勢田から久御山に移転しました。旧の第二岡本病院では中庭に、患者サロンの世話人をされる方が、「せめてお花や植物を通じて和みを届けたい」とそれはそれは丹精込めてお世話され、四季折々に入院される方、通院の方、院内の方々を癒やしてこられました。移転に伴い花壇の鉢植えなどをご縁の方々に分けられたお花が方々で育っています。画像は、事務局長の児玉氏が育てられ、去る6月末に大輪の花をつけたそうです。達磨寺にも、珍しい黄色のホトトギスやほうちゃく草を頂き、この梅雨空に元気に育っています。
岡本病院では、緩和ケア病床で活動をする予定です。
私達の活動の先駆者である浄土真宗の鹿児島善福寺長倉伯博師には、サーラの会顧問をお願いしてます。長倉さんを講師に研修会をした際のテーマが「響感」でした。福祉や介護・医療の現場で共感ということは重要なテーマで有り命題で有り、関わる全ての人々のいわば全人的課題でありましょう。それでも対する苦の最中にいる人々に、真実共感するということは、はたして可能なことなのか、健常者が障害者に共感するといっても、努力だけで本当に成り立つものでしょうか。長倉師は、ご自身の経験から「響感」という字に置き換えられました。自己の心中に響かせよう、務めよう、励もう、ということでしょうか。私達の活動の根本基本を教示いただきました。 (2016/05/09 佐野泰典)
高齢化社会に向かって進んでいることは様々なところで話題になり議論の的になり、その対策をと日本全体が関わる深刻な一面がある。
~老後をどう過ごすか~ということにすくなからず不安をいだく人も多いだろう。
私はこの活動をはじめて、身近な檀信徒で老人施設の特養やグループホームに入られる方々を時に訪問させていただいているが、ことのほか喜んでいただけるのは、どうしてであろうか、一つには、「和尚がきてくれるなどど思ってもみなかった」だから、びっくりぽんで嬉しい、ということがあると思う。社会の第一線を退いて経年すると、さまざまに社会との関わりが少なくなって互いの往来もなく、余生を老化と闘いながら寂しく過ごす人も少なくない。この傾向は男性に多いようにも思う。和尚がひよっこりと「どうや」と訪ねると、ほぼ例外なく歓迎されることは、こちらも喜びである。
わたしも行く道の、ほんの少し先を歩いている人に そっと寄り添うことの大切さをおもう。 (2016・4・13 佐野泰典)
新聞の一面に『イオンのお葬式』の囲み広告を見つけました。それは、「社員が父親の葬儀で感じた義憤から始まった事業です」とだけ書かれたシンプルなものでした。義憤の内容が気になって友人のイオンOBにメールしたところ、「価格の不明瞭さが主な理由」だそうです。
『イオンのお葬式』が登場した4年前、仏教界から大変な非難が浴びせられました。しかし、継続しているところをみると、事業として成り立っているのでしょう。HPをみると、様々な形式の葬儀が値段とともに紹介されています。お布施も45,000円から150,000円まであります。お墓については、永代供養してくれる各地の寺が紹介されています。
でも最後に気づいたのですが、HPの冒頭に「お寺にご縁のない方…」という一文がありました。そう、日頃お寺とお付き合いのない方が増えているからの事業なのです。
突然、お葬式に行っても、誰も話は聞いてくれません。亡くなる前の、一番苦しい時に寄り添ってこそ、家族とともに見送ることができます。更に、ベッドサイドに呼ばれるためには、病気になる前からのお付き合いが必要です。様々な社会活動を通して、僧侶という存在が認知されていれば、悩みや苦しみを共有できる存在として気づいてもらえるでしょう。イオンの広告から、いろいろなことを考えさせられました。
事務局 児玉修
本会顧問の河野太通老師は、御自坊の姫路の網干龍門寺で中高年の方々で出家されて僧侶への路を歩まれる方々を指導されてます。この方々が、将来僧侶としての歩まれたとき、臨床僧として傾聴活動が出来ればという願いをもたれ、私の過去五年ほどの経験談をお話しさせて頂きました。
皆さんは一般社会での経験もあられますので、私たちより、より深く「現場の」生きる上での悩みに接してこられ、なにより、僧侶を目指される志には、爲人度生の願心があってのことだと思います。高齢になってからの修行生活は、きついことと思いますが、こうした方々が、私たちの活動の同志として仲間になって頂くことを念願するものです。
2015/06/30 佐野泰典
患者サロンへ出かけるようになって知り合った男性患者さんがいる。
サロンでもお会いするし、お寺にもふらっと遊びにこられたりと気心しれた間柄となって数年になる。
簡単にその患者さんの背景を記すと
中学卒業後、職人として生きてきた、初老で独身、がんを患い、治療によって寛解したが、昨年あたりに別の箇所に転移、今年になって痛みを伴うようになり、疼痛緩和ケアを在宅で受けている。自身も「もう遠くはないな」と感じておられる。
外見上からも、少しやつれ感がでて、つらいように見受けられる。しかしそばで見ていて悲壮感などは全くない。彼は、最初のがん闘病中に患者サロンの存在を知って、そこで多くの友人と出会い、交流を重ねながら、自らもサロンの世話人として患者さんたちを励まし、傾聴活動を続ける中で、「私もがんと闘っています、まけたらあきません、がんばりましょう」と励ますことに専念してこられたが、今のような、いわゆる末期的な状況から、今の心境を、「がんばれとか、しっかりしようとか、負けずにという言葉がけよりも、受け入れてくれる場所があるのが嬉しい、有り難い」と。お寺の存在意義を、僧侶の作すべき本分を、ずばりと、「一句乾坤を定める」一語を示された感がある。
活動を通じて教えられることばかりである。
サーラの会設立当初より、患者会に関わり今では、皆さんと顔なじみになりました。毎年秋に、患者さん達にピア(仲間)として寄り添い、少しでも病苦や悲嘆の苦が癒えるようにとサポーターになるための様々な心がけや傾聴の有りようを学んでおります。受講者には、サバイバー(がん経験者、一応治癒したが経過観察中の方々)も大勢おられます、自身の体験から、なんとか人様の苦が癒えるようにとサポート活動しておられる姿に、手を合わせています。
修行の師、河野太通老師が、よく『きみよ 觀音に なりたまえ』と墨蹟に書かれておりました。観音菩薩は、「拔苦与楽」、苦を抜き楽を与えていただける菩薩さまです。まさにこの活動は、観音さまや地蔵さまと同じ菩薩行であると思います。
私たちの活動が、こうした菩薩行を積む方々の友となるよう励まねばと改めて学びました。
あなたも わたしも ともに菩薩行に 励みましょう
平成26年10月5日 佐野泰典
高齢化社会に進んでいる先には、「大量死」の問題がある、様々な側面・諸問題諸課題が山積している。なかなか表だって口にできないデリケートな面もあるが、共通しているのは、自分も例外ではないということだ。
かつては、家族で親族で、地域社会で「看取り」「見送り」ということが当たり前に行われてきたが、そのような社会の構造が激変しており、何か葬儀を公表するのを控えなければならないようなことになっている。例え親であっても「看取る」ことが出来ない家族関係も珍しいことではなくなりつつあるように感じる、結果、いくら命の尊厳や、人権意識の向上を叫んでみても、絵に描いた餅の喩えの如くになりはしないか危惧するものである。
今後、われわれ宗教者が果たすべき役割も大きくなるように思う。
普段より檀信徒はもとより、地域社会や様々な交流を通じて「良き友」となるよう努めたい。
(2014/07/25 佐野泰典)
毎月衣笠の早川老先生の所へお邪魔して教えを乞い、また意見の交換もしながら研鑚を積んでいる私達です。このところ医療と「死」ということについて話し合ってます。先生のご発言から、興味深く印象深いことについてですが、「さじ加減」という言葉は、もともと医学の用語で、藥の加減で病気の具合をはか り、そして加減次第で、生命もコントロールでき、また、患者や家族と医師との信頼関係如何によって、「ターミナル」を決めることが可能だとも教わりました。先生曰く「病院の病室のみでははかりしれない患者の心のうちや精神、その人の人生そのものを、往診して、それも何回も何回も往来して、初めて可能であり、自分も七〇歳を過ぎ八〇歳になって初めて行い得る医療行為だった」と九〇歳の先生の深くて重い心のうちをお聞きしました。思えば私達が、檀家さんのお宅で法要などの仏事をお勤めするなかで、皆さんと接することとも一脈通ずるものがあるように思います。
「見るから、看護の看、そして觀音さまの観る」あらためてこの活動の根本に触れた思いをいたしております。 2014/04/27 佐野泰典
近年表題の言葉が使われ出しました。「死の質」人生の幕を閉じるまでより良く尊厳を持って生き、そして「逝く(徃)」、言わば死の質を高めるという考え方によるものです。
自然死・尊厳死・あるいは昔からいうところの大往生といった逝き方は、だれもが「かくありたし」と願う所でしょう。考えてみるに、質を高めるといっても、自分の努力や、まして家族の支援や援助によって成り立つものなのでしょうか、多くは「思い通り」にならないことも多いのではないでしょうか。
「あるがままに」生きる、そして逝く、あまり死の質というようなことにとらわれずに生きた方が、気楽なような気がいたします。本來死の質に高低・優劣などありはしないのですから。
最後に、お世話になった方々へ、「ありがとう」を忘れず、最後に言えないかもしれませんから、今から「ありがとう」の気持ちを伝えたら如何でしょう。
『日々是好日』 と生きたいものです。 (2014/04/19 佐野泰典記)
深夜、目が覚めてトイレに行く途中、床に窓枠の影ができているのに気づいた。昼間ほどではないが、暗さに慣れた目にはかなりはっきり見える。
満月なのかと窓に近づいて空を見上げると、下弦の月が天空にあった。半月でもこれほど明るいのかと驚いた。家を取り囲んでいる竹林も、一本一本シルエットを描いている。
『月明かり』という言葉は知っているし、何度も満月を見上げている筈である。ところが、深夜に一人で月明かりを浴びたことはなかった。
トイレを済ませ、窓辺に椅子を置いて下弦の月に向き合ってみた。
仲秋の名月ではない。それでも深夜の空では圧倒的な存在感がある。
街灯や懐中電灯どころか松明やロウソクさえなかった時代、人々はこの月明かりをどんなに心強く思っただろう。漆黒の闇の中に道を浮かび上がらせ、恐怖に震える心を鎮めてくれる大切な存在だったに違いない。
何より、太陽と違っていつまでも見つめていられる。一方的に恵みを貰っているだけではない、より親しみを感じる関係と言ったらいいのだろうか。
『臨床僧の会・サーラ』のお坊さんたちも、月のような存在になればいいのだと感じた。
医者が直接患者さんを治療する太陽のような存在なら、臨床僧は月だ。
病と向き合い、治療に疲れた患者さんたちを柔らかい光で包みこみ、決して心が折れることがないように寄り添えばいい。
がんを宣告された患者さんたちは、突然、漆黒の闇の中に放り出されたような気分になるに違いない。そんな人たちに、太陽の光は眩しすぎる。一度光を受け止め、優しく照り返すことが必要なのではないだろうか。
親しくしている桜守の佐野藤右衛門さんから、「桜は満月に向かって咲く」という言葉を聞いたことがある。桜は月の影響を受けて開花するというのだ。潮の干満だけではなく、植物の発芽や開花、動物の誕生や死にも大きく関わっているという。
普段は気づかないが、月もまたなくてはならない存在なのだ。
そんな存在を目指して、『臨床僧の会・サーラ』を設立して二年半が過ぎた。まだ、「葬式仏教」という言葉に象徴される、僧侶イコール死という医療関係者の偏見は払拭されていないが、数カ所の『がん患者サロン』に参加するようになった。
求められれば坐禅の指導をしたり、お話をしたりすることもあるが、基本的にはそこにいて皆さんのお話を聞くだけである。時には、皆で学んだ『コンフォート・ハンド』というアロマ・オイルを使った手のマッサージをしながら、顔を見合わせてお話を聞く。
初対面の人でも、手をつなげば心もつながる。十分程度のコースの筈が三十分以上かかってしまうほど話がはずむ。
そんな中で出会った多くの患者さんからよく聞く言葉がある。
「がんになって、いろいろな人に出会えてよかった」
「がんになって、新しい人生が開けた」。
勿論、がんになって嬉しい人などいない。苦しい闘病生活や、将来に対する不安などが待っている。それらを経験した上での言葉だけにより重みがある。
話を聞くと、人の数だけ人生があるのだということを実感する。皆さん、実に個性的な人生を歩んできている。当たり前のことだが、二つとして同じ人生などない。全て、たった一つの貴重な人生である。
そして、『がん患者サロン』に参加している人には共通点がある。それは、明るく積極的だということである。積極的に病気に取り組む人の治癒率が高いことは、医者の全てが認めている。
もともと無口で人と話すことが苦手だった人も、サロンに出入りする内に他の患者さんに刺激されて、すすんで話すようになるようだ。そうした人たちが、がんになって新しい自分を発見し、「がんになって、いろいろな人に出会えてよかった」と発言するのだろう。
しかし、明るく元気だった患者さんも、使っている薬が効かなくなったり、転移が見つかったりすると突然サロンに参加しなくなる。体力的なこともあるのだろうが、ストレスの方が大きい。大勢の人が集まるところへ行けなくなるようだ。
そんな人たちが、個人で会員の寺を訪ねるようになったと聞き、新たな企画を始めることにした。日を決めて寺を開放し、患者さんやご家族に寺を訪ねて貰うことにしたのだ。
闘病という灼熱の砂漠を行くような厳しい旅の途中で、ちょっと立ち止まって心を休めるオアシスのような存在を目指して、『緑蔭』と名づけた。寺という静かな環境の中で心ゆくまで話し、ゆっくり時間を過ごしていただきたいと思う。仏前や縁側で一人坐ることもできる。
そして、月明かりの中に進むべき道を見つけたら、再び病と闘う旅に戻って貰いたいと思う。
日々の激務で心が折れそうになっているお医者さんや看護師さんにも、是非訪ねて貰いたい。 2013/11/20 (事務局長 児玉 修)
2013年11月12日夜のNHK9時のニュースで、あるがん患者(男性)の話が放映された、既に末期がんと宣告され、手術などの療法は、延命行為に過ぎないという状況から選択せず、設計士としての仕事を続けながら緩和療法のみで在宅療養、やがてがんは進行し、自宅で生涯を閉じられた。末期の枕もとで「怖いことは何も無いです」とおっしゃられ、自身の決断にいささかの迷いもない様子であられた。ご家族も、その意思を最大限に尊重し、また協力された様子であった。從來このような場面が、ニュース番組で放映されることは少なかったように思う。ところが最近は、よく目にするようになった。これは、病気(とりわけがんのような)や人生の終焉ということに多くの人々が、「自身の最後はどうあるべきか」という、いわば人生の命題を考えておられるからではないだろうか、それは、これまでの家族社会、家族全体の意思や思いが共有され尊重され、良い意味での「おまかせ」的、漠然とした末期への不安はあったにせよ、自身が決めるというより残された家族の判断も大きかったのに対して、「個」の時代へと変り、「自分の人生は自分の意思で」ということへ変遷しつつあるように思うが、しかし、このような問題に、すらすらと自身も身内も結論が出せるものではない。また、そうした現実に、今の日本が対応できるだけの成熟した社会にもなっていないのも現実であろう。
今後もこのようなニュースやドキュメンタリー番組は多くなるように思うが、どうも日本人は、「他にならう」習性がままある。
私の所属する臨済宗妙心寺派の生活信条という「軌範とすべき信条」に「自分の生活も他人の生活も大切にしましょう」とあり、その前文は、「生かされていることへの感謝」である。どうあることが、幸福であるのか私自身も命題としていきたい。
(佐野泰典)
今朝の読売新聞記事によると、人工呼吸・心肺装置などによる延命医療を、患者本人、家族の希望で中止する病院、医療機関が増加傾向にあるという。以前、人工呼吸器を取り外した医師が、殺人罪で立件されたことがあった。從來より延命一辺倒の治療が当たり前であったが、患者の願いを尊重した結果であるという。
健康な時には、自分の末期について、「家族に負担をかけてまで」「自分の意思もわからないような植物人間になってまで」とほとんどの人は思うのではないか。
それでも実際、最愛の人がそのような場面に到ったとき、はたしてどのような思いで
医師に延命の中止を告げれるのであろうか、そこには、深くて大きな苦悩があるのではないか、そして、その苦悩は、死という結末のあとでも、遺族となった家族には、「あれで良かったのか」という思いが消えないで、新たな苦悩となる場合も少なくない。
患者の幸福、平安が、医療の最大の目的である。
医師と患者、患者と家族、この間で、どうしても埋めがたい『こと』も多々あることを、これまでの活動で知った我々僧侶は、伴走者として、少しでも埋めがたき溝を埋めてゆきたいと思う。 (2013/10/21 佐野泰典)
「手のひらを太陽に」の作詞者でもあり、アンパンマンの作者 やなせたかし氏が94才で亡くなられ、生前に語られた 「手のひらを太陽に」の歌詞にこめられた思いを聴いて、あらためて 生きる ということを考えさせられました。
「かなしい」は、漢字では 悲・哀・恨・愛 人生のさまざまな苦とともにあるものです。
でも「かなしい」ばかりが人生でないのです、歌詞のとおり 嬉しさあり、楽しさあり
美しさあり、さまざまな幸福を謳歌して行きたいものです。
子供の頃にうたったこの歌を、あらためて かみしめ あじわいながら 口ずさんでいます。
佐野泰典
報告事項(表題をクリックすると報告内容に) | 報告日 | 報告者 |
臨床僧の会 門戸の拡大(発展を期して) | 2011/7/21 | 法輪寺住職 佐野泰典 |
(第一・第二講) |
2011/7/31 | 法輪寺住職 佐野泰典 |
(第三~第五講) |
2011/9/3 | 選佛寺副住職 木原大萌 |
(第六~第八講) |
2011/9/18 | 浄明院副住職 安達円信 |
前半を終えて |
2011/9/18 | 法輪寺住職 佐野泰典 |
ヘルパーリポート | 2011/10/24 |
南禅寺部員乾亨院徒弟 大神俊敬 |
滋賀医大 「医の倫理」講義参加受講 | 2011/10/24 | 法輪寺住職 佐野泰典 |